公演名 | iichiko presents ワレリー・ゲルギエフ指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団 | クリックすると PDFでご覧頂けます | ||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
日時 | 2012年11月8日(木) | |||||||||||||
時間 | 開場18:15 開演19:00 | |||||||||||||
会場 | iichiko総合文化センター iichikoグランシアタ | |||||||||||||
出演 | ワレリー・ゲルギエフ、デニス・マツーエフ、 マリインスキー歌劇場管弦楽団 | |||||||||||||
曲目 |
| |||||||||||||
チケット |
学生割引 半額(S~B席のみ・25歳以下の学生対象) ※学生割引券はiichiko総合文化センターのみ取扱・要学生証 | |||||||||||||
チケット取扱 |
| |||||||||||||
主催・お問合わせ | (財)大分県文化スポーツ振興財団 TEL:097-533-4004 | |||||||||||||
後援 | 大分合同新聞社 | |||||||||||||
お願い | ・演奏中および楽章間の客席への入退場は制限させていただきます。 ・やむを得ない事情により、出演者、演奏曲目、曲順などが変更される事があります。 ・ご予約後の変更およびキャンセルはお受けできません。 ・公演中止の場合を除き、一度購入されたチケットの払い戻しはできかねますのでご了承ください。 ・未就学児童の同伴はご遠慮下さい。託児サービスをご利用下さい。 (要予約:満1歳以上の未就学児対象。有料2,100円/お一人様。11月5日(月)17時までにお申し込み下さい。) ・車椅子席のご予約は(財)大分県文化スポーツ振興財団へお電話でお申込下さい。 ・学生券をお求めの方は、学生証を必ずお持ち下さい。 |
暴力はキライだ。なにしろ痛いし、度が過ぎれば死んでしまう。けれど残念なことに、世の中には暴力が溢れている。だから、もしも暴力との不幸な遭遇を避けたいというのであれば、卑屈と知りつつ我が身を小さく縮めて生きる他ない。
ただ、そんな社会的害悪=暴力を通じてしか描けない質の昂揚や感動があるというのも、きっと事実なのだろう。それは大火力で敵をなぎ払う爽快感なのかもしれないし、あるいは無残に散らされた幾多の命に対する共鳴なのかもしれない。いずれにせよ暴力は時に我々の心を大きく揺さぶる。そしてクラシック音楽もまた、そんな暴力を直接的に表現することがある。
クラシックが暴力?と疑問に思われるかもしれない。上品でハイソなクラシックに、粗野な暴力など全く似合わないだろう、と。だがそうした幸福なイメージは必ずしも現実と一致しない。パンクロックともヘヴィメタルとも異なる圧倒的暴力を、クラシックはしばしば振るう。オーケストラを構成する数十人の兵士が一糸乱れぬコントロールのもとで叩き出す音塊は、物理的な音量を超えた破壊力であなたを張り倒すだろう。
そんな音楽的暴力を体感する上で、ショスタコーヴィチの第11交響曲は最良の(したがってまた、最悪の)作品だ。1905年に起きた「血の日曜日事件」と呼ばれる出来事を題材に、帝政ロシア軍による民衆虐殺の様子が生々しく描かれる。銃掃射撃を思わせるスネアドラムと、それにつづく阿鼻叫喚の地獄絵図。そして全てが終わったあとの、底なしの静謐。
同作におけるそうした表現を、B級映画的な低俗スペクタクルだと批判する向きもおそらくはあるのだろう。だが一方、そんな低俗で、醜悪で、耳目を覆いたくなるような暴力の渦の中からこそ浮かびあがってくる芸術の輝きも、きっとある。ただしその輝きに触れるには、まず一度、この苛烈な暴力と正面から向き合わなければならないのが悩ましいところだ。
演奏はマリインスキー&ゲルギエフ。打ちのめしてもらうには申し分のない(むしろ強烈すぎるほどの!?)布陣だ。怒濤の大音響の果てに彼らが奏でるのは、一縷の希望だろうか。それとも、全てを覆いつくす絶望だろうか。
1988年、マリインスキー歌劇場の芸術監督に選出され、同歌劇場を世界中が注目する一流歌劇場へ発展させた、カリスマ性を備えた現代屈指の指揮者。ロッテルダム・フィルの首席指揮者(1995~2008/現在は名誉指揮者)、メトロポリタン・オペラ首席客演指揮者(1997~2002)、ロンドン交響楽団首席指揮者(2007~)など、国際的な主要ポストを歴任し、同時にウィーン・フィル、ベルリン・フィル等の一流オーケストラに客演。また、サンクトペテルブルグの「白夜の星」音楽祭、フィンランドのミッケリ国際音楽祭、コーカサス平和音楽祭、ロッテルダム・ゲルギエフ・フェスティバルなど、数々の国際音楽祭を創設し、芸術監督および音楽監督を務める。
デニス・マツーエフは、1998年にモスクワで開催された第11回チャイコフスキー国際コンクールで栄えある優勝に輝いた。以来、世界の檜舞台に突如現れた新星として、瞬く間に当代きっての人気ピアニストの一人となり、確固たる地位を築いている。
マツーエフは権威あるショスタコーヴィチ音楽賞、及びロシア連邦国家賞(文学芸術分野)を受賞し、世界中の格式高い有名コンサートホールで数多くのリサイタルを行っている。
世界の有名オーケストラとの共演としては、ニューヨーク・フィルハーモニック、シカゴ交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、BBC交響楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ヴェルビエ祝祭管弦楽団、スカラ座フィルハーモニー管弦楽団、フィレンツェ五月音楽祭管弦楽団、フランス国立管弦楽団、パリ管弦楽団、ブダペスト祝祭管弦楽団などが挙げられ、その他に、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団、マリインスキー歌劇場管弦楽団、ロシア・ナショナル管弦楽団など、ロシアの名門オーケストラとも継続的に共演を重ねている。
今日活躍している著名な指揮者とも定期的に共演しており、ロリン・マゼール、ワレリー・ゲルギエフ、ズービン・メータ、マリス・ヤンソンス、ユーリ・テミルカーノフ、クルト・マズア、パーヴォ・ヤルヴィ、チョン・ミョンフン、アントニオ・パッパーノ、イヴァン・フィッシャー、ジャナンドレア・ノセダ、ミハイル・プレトニョフなど、錚々たる面々が共演者として名を連ねている。
世界的に有名な音楽祭にも頻繁に招かれており、これまでにBBCプロムス、エディンバラ国際音楽祭(以上イギリス)、バーデン・バーデン音楽祭(ドイツ)、ショパン音楽祭(ポーランド)、フィレンツェ五月音楽祭(イタリア)、オランジュ音楽祭、ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭(以上フランス)、ヴェルビエ音楽祭、モントルー音楽祭(以上スイス)、ジョルジェ・エネスク音楽祭(ルーマニア)、ブダペスト春の音楽祭(ハンガリー)、アテネ/エピダウロス・フェスティバル(ギリシャ)、白夜の星音楽祭(ロシア)などへ出演している。
今後予定されている注目すべき活動としては、ワレリー・ゲルギエフ指揮によるロンドン交響楽団、ヴェルビエ祝祭管弦楽団、及びチューリッヒ歌劇場管弦楽団との共演、レイフ・セーゲルスタム指揮によるフィルハーモニア管弦楽団との共演、パーヴォ・ヤルヴィ指揮によるフランクフルト放送交響楽団との共演、ユーリ・テミルカーノフ指揮によるイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団との共演、マンフレート・ホーネック指揮によるピッツバーグ交響楽団との共演、ジェイムズ・ガフィガン指揮によるオランダ放送フィルハーモニー管弦楽団との共演などが挙げられる。
この他、世界の超一流コンサートホールにおいてリサイタルも数多く行っており、特筆すべきものとしては、アメリカではカーネギー・ホールやシカゴ・マーティン歌劇場(ラヴィニア音楽祭の一環として)、パリ・シャンゼリゼ歌劇場、フィンランド国立歌劇場、アムステルダム・コンセルトヘボウなどが挙げられる。
2007年11月にカーネギー・ホールで行われたリサイタルはライヴ収録され、「デニス・マツーエフ カーネギー・ホール・コンサート」と銘打ったアルバムが2008年にリリースされた。ニューヨーク・タイムズ紙はマツーエフの演奏を「・・・優しく奏でられるパッセージにはマツーエフの詩的感性が光り、人間が望み得る限りの正確さで刻まれるトリルには鳥肌が立った・・・」と絶賛した。
また、サンクトペテルブルク(ロシア)のマリインスキー・コンサートホールで、ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団との共演で収録されたラフマニノフのピアノ協奏曲第3番が、新レーベルであるマリインスキー・レーベルから2009年12月にリリースされた。
マツーエフは、過去5年間以上にわたり、セルゲイ・ラフマニノフ財団及び作曲家ラフマニノフの実の孫にあたる財団の総裁、アレクサンドル・ラフマニノフと協力してプロジェクトを行ってきた。つまりマツーエフは、セルゲイ・ラフマニノフ財団の芸術監督に就任すると共に、ソリストとして、ルツェルン(スイス)にあるラフマニノフの別荘「ヴィラ・セナール」において、作曲家が生前に実際に使っていたピアノで、ラフマニノフの未発表作品の演奏及び録音を行った。このユニークなプロジェクトは、世界中で大いに話題を呼び、2007年12月にソニーBMGから「知られざるラフマニノフ」というタイトルでCDがリリースされた。このプロジェクトにおけるマツーエフの尽力と創造力は各方面から非常に高い評価と称賛を得た。
マツーエフは3つの重要な国際音楽祭の芸術監督を務めている。それらは、アヌシー音楽祭(フランス)、バイカルの星音楽祭(イルクーツク/シベリア)、そしてクレッシェンド音楽祭である。クレッシェンド音楽祭は、モスクワ、サンクトペテルブルク、エカテリンブルク、テルアヴィヴ、カリーニングラード、パリ、ニューヨークなど様々な国際都市で行われる一連の音楽イベントである。
これらの注目すべき音楽祭は、新しい世代の若手音楽家たちに出演の機会を与えており、世界中から招かれた才能豊かなソリストたちがロシアの一流オーケストラと共演する場となっている。とりわけクレッシェンド音楽祭は、ロシア国内外を問わず、非常に大きな反響を呼んでいる。さらに、マツーエフはロシアのチャリティー財団「ニュー・ネイムズ(New Names)」の総裁を務めている。この財団は、マツーエフの祖国ロシア各地で、子供の音楽教育を支援する活動を行っている。
マリインスキー歌劇場管弦楽団は、ロシアで最も古い音楽団体として、由緒ある歴史を誇っている。ピョートル大帝の治世のもと、18世紀に創設され、ロシア革命以前はロシア帝室歌劇場管弦楽団として知られていた。1860年以来、サンクトペテルブルグのマリインスキー歌劇場(アレクサンドル二世の皇后マリアに因んで名付けられた)で演奏を行っていたこのオーケストラは、19世紀後半からエドゥアルド・ナプラヴニク(1839−1916)の指揮のもとで真の黄金時代を迎えた。ナプラヴニクは帝室歌劇場に半世紀以上(1863−1916)君臨し、その指揮のもとでヨーロッパ有数のオーケストラとして認められるようになった。彼はまた、一代の優れた指揮者たちを指導し、後に「ロシア流」として知られるようになった指揮法を編み出した。
当歌劇場は19~20世紀の名作オペラやバレエが多数生まれた場所でもあり、グリンカの《皇帝に捧げし命》《ルスランとリュドミラ》、ボロディンの《イーゴリ公》、ムソルグスキーの《ボリス・ゴドゥノフ》《ホヴァーンシチナ》、リムスキー=コルサコフの《プスコフの娘》《見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語》、チャイコフスキーの《スペードの女王》《くるみ割り人形》《眠れる森の美女》や、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンによるオペラ、バレエなどの初演も行った。また、チャイコフスキーは同オーケストラを指揮していたばかりでなく、自らの交響曲第5番、幻想序曲「ハムレット」および交響曲第6番の初演を行うなど、オーケストラと深い関わりを持っていた。ラフマニノフもカンタータ「春」や詩曲「鐘」の初演をはじめとして、いくつもの公演を指揮。また同オーケストラは、若きストラヴィンスキーの「幻想的スケルツォ」やバレエ《火の鳥》組曲なども初演した。
一方、同オーケストラのレパートリーには、ロシアのみならずヨーロッパの作曲家によるものも多く含まれており、ハンス・フォン・ビューロー、フェリックス・モットル、フェリックス・ワインガルトナー、アレキサンダー・フォン・ツェムリンスキー、アルトゥール・ニキシュ、ウィレム・メンゲルベルグ、オットー・クレンペラー、ブルーノ・ワルター、エーリヒ・クライバーなど、世界的な著名指揮者たちも次々と客演した。
ちなみに、1847年と1867年には、ベルリオーズが自作の「ファウストの劫罰」「ロメオとジュリエット」「幻想交響曲」「イタリアのハロルド」を指揮し、日記に「何というオーケストラだろう!何という正確さ!何というアンサンブル!」と記し、1867年の手紙には「ベートーヴェンは自分の作品をかくも見事に演奏してもらったことがないだろう」と綴っている。そしてマーラーは1902年と1907年にオーケストラと共演し、自身の交響曲第5番を含む5つのコンサートを指揮。1912年には、シェーンベルクが交響詩「ペレアスとメリザンド」のプレミアを指揮した。
キーロフ・オペラと改名されていたソ連時代、オーケストラはエフゲニー・ムラヴィンスキーとユーリー・テミルカーノフの指導のもとで高い芸術的水準を維持していたが、1988年、ワレリー・ゲルギエフがオペラの芸術監督に選出され、1996年にはロシア議会からマリインスキー歌劇場の芸術監督および総裁に任命された。レニングラードがサンクトペテルブルグと改名されて間もなく、キーロフ歌劇場は設立当初のマリインスキー歌劇場に名前を戻し、オペラ、バレエそして当管弦楽団の本拠地となった。
ゲルギエフの指導のもと、同歌劇場はメトロポリタン・オペラ、英国ロイヤル・オペラ、サンフランシスコ・オペラ、ミラノ・スカラ座などの世界的な歌劇場と密接な関係を結び、オペラやバレエ団とのツアーに加えて、当オーケストラも世界中で演奏している。そして最も優れたオーケストラのひとつとして数えられるようになり、継続的なツアー活動の成功によって、あるジャーナリストが言うところの「世界初のグローバルなオーケストラ」という名声を得るに至っている。そして1998年に行われた中国への歴史的な初ツアー(ロシアのオーケストラとしては実に40年ぶりの訪中)では、北京の人民大会堂において江沢民中国国家主席の前でコンサートを行い、それは5000万の人々に中継された。
録音は、1989年以来専属契約を結ぶフィリップス・クラシックスに、ゲルギエフの指揮で数多く行っており、グラモフォン誌最優秀オペラ賞、日本レコード・アカデミー大賞など数々の賞を受賞している。