■ 獨道中五十三驛 (ひとりたびごじゅうさんつぎ)
『獨道中五十三驛』は文政十年(一八二七)六月に江戸河原崎座で初演されました。現在にも残る傑作の数々を書き、「大南北」と称される四世鶴屋南北の作で、当時流行していた十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に着想を得た南北が、東海道五十三次を舞台に御家騒動と仇討を主軸に描いた大作です。
昭和五十六年(一九八一)に三代目市川猿之助(現猿翁)がこの作品を復活上演。スペクタクルに溢れた舞台は大ヒットとなりました。再演ごとに改訂を加え磨き上げられ、代表作を集めた「三代猿之助四十八撰」の中でも人気作のひとつとして上演を重ねています。
物語は、通常の東海道とは反対となる京都三條大橋から出発し、江戸日本橋を目指します。由留木家【ゆるぎけ】に伝わる二つの家宝「雷丸【いかずちまる】の剣」と「九重【ここのえ】の印」を巡って、敵味方が追いつ追われつ、東海道五十三次の宿々を舞台に日本各地を駆け巡ります。岡崎の古寺では十二単【ひとえ】を着た化け猫が現れるなど南北の怪奇さが存分に発揮され、化け猫の宙乗りは必見です。
常磐津を用いた舞踊「写書東驛路【うつしがきあずまのうまやじ】」は、お半と長吉、老若男女から雷までの十三役を、一人の俳優が早替りで演じ分ける洗練された演出でご覧いただきます。
この度の公演では、本作には既に定評のある市川猿之助と進境著しい花形の坂東巳之助がダブルキャストで演じることも話題となります。エンターテインメント性に溢れ、作品のエッセンスを凝縮したこの度の舞台に、どうぞご期待ください。
市川猿之助 いちかわ・えんのすけ
四代目 澤瀉屋 昭和50年11月26日生まれ。市川段四郎の長男。58年7月歌舞伎座『御目見得太功記』の禿たよりで二代目市川亀治郎を名のり初舞台。平成10年7月歌舞伎座『義経千本桜』鮨屋のお里で名題昇進。24年6・7月新橋演舞場『ヤマトタケル』の小碓命後にヤマトタケルほかで四代目市川猿之助を襲名。
坂東巳之助 ばんどう・みのすけ
二代目 大和屋 平成元年9月16日生まれ。十世坂東三津五郎の長男。3年9月歌舞伎座『傀儡師(かいらいし)』の唐子で本名で初お目見得。7年11月歌舞伎座『蘭平物狂』の繁蔵と『壽靱猿』の小猿で二代目坂東巳之助を襲名し初舞台。25年1月『菅原(すがわら)伝授(でんじゅ)手習(てならい)鑑(かがみ)』車引の舎人杉王丸で名題昇進。
市川猿弥 いちかわ・えんや
二代目 澤瀉屋 昭和42年8月15日生まれ。50年1月歌舞伎座『菅原伝授手習鑑』寺子屋の寺子四郎蔵で初舞台。53年5月市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となり、南座『加賀見山(かがみやま)再岩藤(ごにちのいわふじ)』の志賀市ほかで二代目市川猿弥を名のる。平成10年7月歌舞伎座『義経千本桜』の武蔵坊弁慶で名題昇進。
市川春猿 いちかわ・しゅんえん
二代目 澤瀉屋 昭和45年11月29日生まれ。63年3月国立劇場第九期歌舞伎俳優研修修了。4月歌舞伎座『忠臣蔵』の仕丁・諸士ほかで初舞台。7月市川猿之助(現・猿翁)に入門し、歌舞伎座『義経千本桜』の腰元ほかで二代目市川春猿を名のる。平成6年3月猿之助(現・猿翁)の部屋子となる。12年4月新橋演舞場で名題昇進。
市川寿猿 いちかわ・じゅえん
二代目 澤瀉屋 昭和5年5月20日生まれ。12年小石川小劇場『義経千本桜』の安徳帝で坂東小鶴を名のり初舞台。25年4月三代目市川段四郎に入門し、市川段三郎と改名。30年1月市川猿之助(初代猿翁)門下となり、市川喜太郎と改名。32年4月歌舞伎座で四代目市川喜猿を襲名し名題昇進。50年7月歌舞伎座で二代目市川寿猿を襲名。平成12年7月歌舞伎座『義経千本桜 四の切』の川連法眼ほかで幹部昇進。
市川笑三郎 いちかわ・えみさぶろう
三代目 澤瀉屋 昭和45年5月6日生まれ。61年4月市川猿之助(現・猿翁)に入門し、5月中日劇場『ヤマトタケル』の吉備の国の使者ほかで三代目市川笑三郎を名のり初舞台。平成6年3月猿之助(現・猿翁)の部屋子となる。10年7月歌舞伎座『義経千本桜 四の切』の静御前で名題昇進。
市川笑也 いちかわ・えみや
二代目 澤瀉屋 昭和34年4月14日生まれ。55年3月国立劇場第五期歌舞伎俳優研修修了。4月国立劇場小劇場『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』の中間で初舞台。56年2月市川猿之助(現・猿翁)に入門し、二代目市川笑也を名のる。平成2年2月猿之助(現・猿翁)の部屋子となる。10年7月歌舞伎座『義経千本桜 鳥居前』の静御前で名題昇進。
市川門之助 いちかわ・もんのすけ
八代目 瀧乃屋 昭和34年9月24日生まれ。七代目市川門之助の長男。44年2月歌舞伎座『義経千本桜』鮨屋の六代君ほかで二代目市川小米を名のり初舞台。平成2年12月歌舞伎座『義経千本桜 四の切』の義経で八代目市川門之助を襲名し名題昇進。