義経千本桜 (よしつねせんぼんざくら)
下市村の釣瓶すし屋を営む弥左衛門は、その昔、助けてもらった平重盛の旧恩から、その子息の維盛を使用人の弥助として匿っている。その弥左衛門の家に、今は勘当の身のいがみの権太が、母のおくらを騙して金を手に入れようと現れる。一方、弥助に恋していた弥左衛門の娘のお里は、ある晩一夜の宿を借りようと訪ねてきた親子が維盛の御台所若葉の内侍と、一子六代である事実を知り三人を逃がす。しかし、弥助の素性を知った権太が褒美目当てに訴人しようと掛け出して行くところへ、維盛詮議に梶原景時がやって来る。権太は持参した維盛の首と縄にかけた内侍親子を突き出す。その所業に怒った弥左衛門が思わず権太を刺すが、苦しい息の中権太が明かす真実とは・・・。
歌舞伎三大名作の一つとして有名な『義経千本桜』の中でも「すし屋」は、いがみの権太と呼ばれるならず者が迎える悲劇の結末に、親子の情と悲哀を感じる作品です。お里のクドキ、すし桶を構えた権太の引っ込み、そして権太が本心を明かす「モドリ」と言われる趣向など、見どころ溢れる作品です。
釣女 (つりおんな)
太郎冠者は主人の大名某と二人で、西宮の恵比寿神社に、妻を得たいと願掛けの参詣にやって来る。すると、その神前で眠りについた二人に夢のお告げがあり、釣針が与えられ、早速、大名が釣竿をさげると、世にも美しい上臈が釣り上げられる。ふたりがその場で祝言をあげるのを見た太郎冠者は、自分も美しい妻を娶りたいと釣竿をさげる。やがて手応えを感じた太郎冠者が釣竿をあげると、被衣をかぶった女を釣り上げ、夫婦になろうと誓い合うが、被衣をとると二目と見られない醜女。太郎冠者は逃げ出そうとするが・・・。
狂言の『釣針』をもとにしたこの作品は、わかりやすくユーモラスな内容ですが、松羽目物としての品各も求められます。大名と美女、太郎冠者と醜女という対比や嫌がる太郎冠者を慕う醜女の愛らしさが可笑しみとともに表現され、誰もが楽しめる微笑ましい常磐津の舞踊劇です。